HOME

海外旅行 旅日記「カナダ編」

Christmas in Canada(1999)

「どこか、行こう!どこ、行こう?」

 夏休みの頃から、どこか遠くへ旅をしたいと願っていたのだが、夏休みの間はついに実現しなかった。そして、最も忙しい文化祭を迎え、その忙しい合間にもわたしはS先生Y先生相手に「どこか行こう、どこか行こう」と呪文のようにつぶやいていた。 あれよあれよという間に期末試験が始まって、「どうするー?」と少々焦りの色。席は隣同士でもお互いすれ違いが多くて、なかなかじっくり話す時間がない。
 12月に入って、とにかく「行く」ことを前提に、いろいろな方面をあたってみた。初めは「ヨーロッパにしよう」などと言っていたが、クリスマス、ミレニアムと重なって終業式以降のツアー出発がほとんど無い。「ハワイ」という説も浮かんでは消えた。
  で、突然思ってもいなかった「カナダ」が候補に挙がったのである。旅行は偶数で行かなければ、ホテルの部屋などいろいろ面倒なことも多く、いつも一緒に旅をする私の友、幼なじみのMちゃんを含めて、4人で旅をすることを初めから決めていたのだが、このMちゃんが「カナダは?」という提案をしてくれたのである。わたしは今まで西と南には行ったことがあるが、東はいちばん遠くて「千葉県成田市」(北海道すら行ったことがないのだ)。カナダ説を2人に話したところ「うん、いいねえ」と、色よい返事。カナダ方面の旅行パンフレットを集め、「ああでもない、こうでもない」と話し合った。そしてとりあえず、パンフレットの中から「これか、これ」という風に2〜3の候補を挙げ、翌日、旅行会社へ出向いた。


旅行先はあっさり決定

 「すいません、23日出発のこのツアー、空きがあるか調べてもらえますか?」「いつの23日?えっ、今月?あと12日しかないじゃないですか。そりゃ〜無理でしょう」と、Mr.ビーンのような表情の店員さんが言う。でも、調べてもらったところ、ホテルは空いている。問題は、飛行機がとれるかどうかだ。その日は土曜日だったのですぐ返事が出来ないが、とれればすぐ電話を入れるとのことで、よくお願いをして、店を出た。
  お昼を食べそこねていたので、ガストで昼食をとっていたら、先ほどのMr.ビーンが電話をしてきた。「とれました。とれました。じゃあもうこれで申し込んでいいですね」「あ、お願いします」えらく、あっさり決定してしまった。ほんとは、カナダまで行くのなら、
オーロラを見たかったのだが、オーロラは同じカナダでも、かなり北の方まで行かなければならないので、今回はあきらめることにして、あまり移動も観光もない、おまけに添乗員もいない2都市滞在型のツアーになった。題して

 Look JTB
   「冬のカナダスペシャル 憧れのホテルに泊まる 
                   ビクトリアとバンクーバー6日間」 (冬のグルメプラン付き)

 
ちょっとここでお勉強。カナダのビクトリアとバンクーバーは北アメリカ大陸の太平洋側(西側)にあり、アメリカ合衆国との国境にも近い。ビクトリアとバンクーバーはブリティッシュ・コロンビア州(BC州)に属する。カナダで有名なナイアガラの滝や首都オタワなどは大西洋側(東側)である。何もこの寒い冬に寒そうなカナダへ行くことはないじゃないのと思う人もいるだろう。確かに緯度だけで考えると北緯50°あたりにあるビクトリアやバンクーバーは日本周辺でいえば、北海道をはるかに通り過ぎ、カムチャッカ半島の南端と同じくらいなのである。しかし、12月の平均気温は最高が7℃、最低が1℃と我が県と大して変わりはない。これが、オーロラの見えるイエローナイフという街までいくと、マイナス20〜300℃は当たり前のようだ。また、ビクトリアやバンクーバーは雨は降っても、雪はほとんど降らないらしい。


さあ、ここから旅日記が始まります

 12月23日(木)長〜い一日が始まりました

 あっという間に、この日がやってきた。この2〜3日の寒波も通り過ぎ、暖かく、いい天気である。S先生Y先生とは福岡空港で待ち合わせ。わたしたち2人は大きな荷物を持って移動したくないので、荷物は数日前に宅配で関西国際空港に送っておいた。身軽に福岡空港へ到着。昼食をとってから、2人が現れるのを待った。(MちゃんS先生Y先生は初対面である)今回は旅行に関するいろんなことに悩む暇がなく、日々の仕事に追われていたので、福岡→関空の飛行機の機種が何なのかも調べられなかった。自分たちが乗る飛行機を目の前にして「ちっさい飛行機」が苦手なわたしとしては、「ちょっとやだな」と思うサイズであった。ま、でもこれに乗らなければ関空にはいけないのだから「仕方ない、乗っちゃえ」。中の席だったので、せっかくいい天気なのに、飛行機からの風景を見ることが出来なかったのが残念だった。関空にはすぐについた感じだったが、着陸して、誘導路を飛行機が走っているとき「ゴン!」と何かにぶつかった音がして、飛行機が止まった。「なに?なに?」と思っていたら、スチュワーデスが落ち着き払った声でアナウンス。「みなさま、当機はただいま急に停止いたしましたが、到着したのではありません、今しばらく御座席でお待ち下さい」。何にぶつかったのか知らないけれど、わたしは勝手に「縁石に乗り上げたんだ」と解釈した。(ほんとはそんなことは起きていないのだろうが・・・)
 関空は斬新なデザインで、何だか外国の空港のようであった。約3時間の待ち時間があったが、出国のための手続きや日本円からカナダドルへの両替などをしていたら、すぐに時間が過ぎてしまった。ちなみに1カナダドル=80円。円高なのでとっても嬉しい。


 エア・カナダの機内、そしてバンクーバー国際空港到着

 18時45分、夕闇の関空を飛び立った。飛行機はエア・カナダのエアバス機だったのでジャンボ機に比べると狭い感じ。そして、またもや中の席。ぎりぎりで申し込んだのだからしかたない。これから約9時間。ビクトリアとバンクーバーは太平洋標準時間で日本との時差はマイナス17時間。夕方日本を出たのに、日付変更線を通ってその日の11時(午前)に到着。1999年の12月23日は41時間あったことになる。
  飛行機の中ではこれといった面白いこともなかったが、近頃映画をみる時間がないわたしにとっては、機内で上映された「トーマス・クラウン・アフェアー」はよい暇つぶしになった。マイナス17時間の時差にどう対処すればよいのか分からず、ちょっとくらい寝た方がいいのかなあと思いながらも、結局眠れなかった。
  到着時間が近づき、窓の外にカナディアンロッキーの山並みが見えるのが、中の席からでもわかった。下は厚い雲に覆われているように見えたが、実はこれはこれからわたし達を悩ます、深い深いであった。バンクーバー国際空港に到着すると、まるで今にも雨が降りそうなくらい曇って見えるが、これは上空が霧に覆われているためで天気は「晴れ」なのだそうだ。わたし達の住んでいるところでは、朝霧があっても、陽が昇るに連れて霧も晴れていくことがほとんどであって、こんなふうに一日中霧が上空にとどまっているようなことはない。
  今回は、添乗員もいない旅ということもあって、とても不安であった。入国審査の時、何か英語で尋ねられたら、英語で答えなければならないので、向こうが何を言っているかちゃんと聞き取れるか、こっちの言うことが通じるか、心配だった。列に並んで待つ間、ガイドブックに「こう聞かれたら、こう答えよう」という例文があったので、それをぶつぶつ言ってみたり、列の前の方の人が、どういう感じで審査を受けているかを観察したりして自分たちの番になるのを待った。よく見ると、審査官の後ろに日本人のようなおばさんがいて、審査官の尋ねることを審査を受ける日本人に通訳しているようだ。ちょっと安心した。4人の中でいちばん前にいたS先生の番になり、審査官のいるブースまで行ったと思ったら、後ろを振り向き、手招きをした。どうも4人一緒に入国審査をしてくれるらしい。結局、パスポートと入国カードを提示して、スタンプを押してもらうだけで終わった。構えて行ったのに拍子抜けの様相だった。


 ビクトリア行きの飛行機を待つ

  無事入国できたが、これからビクトリア行きの飛行機の時間まで約6時間、空港で待たなければならない。ぎりぎりで申し込んだ旅行なので、カナダの国内線の乗り継ぎのよい便がとれなかったのである。乗り継ぎがよければ、ビクトリアで簡単な観光がついていたのだが、それも「なし」となった。着いたばかりで、おみやげを買う気にもならないし、第一、日本時間で言えば明け方。機内で寝ていないので、とても疲れていた。少しは空港内の店を見て回ったが、特に今買いたいと思うものがなかった。しかし、関空で両替してもらったとき、紙幣だけだったので、コインを少し手に入れなければと、「THE BODY SHOP」でマッサージクリームを買い、お金をくずした。それから、コーヒーでも飲もうと「STARBUCKS COFFEE」のカプチーノを注文して飲んだ。このカプチーノは熱い牛乳にほんのちょっとコーヒーの味が混じっているような飲み物だったが、疲れた身体にはおいしかった。
  その後、あまり人のいないベンチを見つけ、カプチーノを飲みながら時間を潰そうと思ったが、このベンチで3〜4人分の席をつかって、熟睡状態になっている人が何人もいたので、Y先生とわたしは少し遠慮がちではあるが、横になって寝ることにした。日本の空港や駅では絶対こんなことしないと思うが、もう睡魔には勝てなかった。バッグやパスポート、お金など取られたらいけないので、バッグの紐を手に掛け、自分の身体に近づけ、いつの間にか夢の国へ。20分くらいは寝ていたような気がするが、目が覚めると、Mちゃんは寝ずに隣の席に座っていた。「S先生は?」と聞くと、少し離れた席で寝ていたが、まるで自分の家で寝ているように熟睡していた。目は覚めたが、まだ頭もボーッとしていて、動き回る元気もなく、ずっとベンチに腰掛けていた。国内線の出発状況のモニターを見ると、ビクトリア行き17:00発は40分くらい遅れるようだ。
 やっと17時近くになったので、国内線のゲートAに行き、出発を待った。霧で出発時刻が少しずつ遅くなり、ちゃんと飛行機が出るのだろうか、飛行機はどのくらいの大きさなのだろうか、などいろいろ不安がつのってきた。英語のアナウンスは早くて聞き取れず、とにかく「ビクトリア」という言葉が聞こえたら、カウンターに行ってみようと、アナウンスに耳を傾けた。他の都市へ行く飛行機も霧で出発できないようで待合室は人であふれかえっていた。あるアナウンスの後、急に人々がざわつきはじめ、カウンターに何か尋ねにいく人が増えた。どうやら、ナナイモという都市に向かう便はキャンセルされたようだ。ビクトリア行きもキャンセルされら、わたし達どうすればいいの?ますます不安になったとき、英語のアナウンスの中に「ビクトリア」という言葉が聞こえたので、カウンターに行って、搭乗券を見せたところ、案内された。やっとビクトリアに向けて出発できると気分は明るくなったが、、飛行機の大きさはどうだろうというもう一つの不安は、わたし達が乗る飛行機が目の前に現れた時、現実のものとなった。何と「プロペラ機」である。セスナほどではないが、かなりの小ささである。なんて小さいんだ。でもさんざん待たされ、やっとこれでビクトリアへ行けると思うと、それほどいやな気持ちではなかった。しかし、この飛行機が霧の中で墜落したら、わたしの勤めてる高校は家庭科教員をみんな失うことになって、さぞかし困ってだろうと、飛行機に乗り込みながら、校長先生の顔が目の前をちらちらした。


 ちっさい飛行機の機内で

 機内に入ると、ますますこの飛行機が小さいことを実感した。搭乗券の席が「09D」とあったので、「10列までしかなかったりして」と冗談のつもりで言ったのに、10列ではなく9列しかなかったのである。各列通路を挟んで左右2席ずつあり、バスの席のようにいちばん後ろはシートがひと続きになっていて、5人が座れるようになっている。ということでこの飛行機は満席でも37人しか乗れない。わたし達は真ん中に白人のおじさんを挟んで5人で座り、シートベルトを締めた。
  このおじさん、陽気でおしゃべりで楽しい人だったが、何と言っても英語が分からないので、喋っていることの10分の1も分からない。9列目の後ろは壁でその向こうは、貨物室になっている。荷物と一緒に犬も積まれていたようで、わんわん吠えていた。きっとこれからどうなるのだろうかと、犬も不安なのであろう。おじさんは「シェンティ、静かにしなさい」といいながら、壁をどんどんどんと叩いている。今考えると、あの犬はおじさんの犬ではなかったのかもしれない。シェンティという名前も勝手に付けたのかもしれない。そして、わたし達に英語で話しかける。適当にしか反応できない自分が情けない。あんまり話しかけるので"I'm sorry. I can't speak English ."と言った。それでも今度は少しゆっくりした英語で話しかけてくる。飛行機に乗って、飛行機が動き始めても、ずっと走るばかりで、なかなか離陸しない。ゲートAは多分小さい飛行機用で、空港のいちばん端にあるのだろう。そこから滑走路まではかなり距離があるようだ。おじさんは少し黙った後"Driving to Victoria."とボソッと言った。これはいくら英語が分からないわたしでも理解できた。おかしくて、みんなで笑った。飛行機はやっと離陸したが、バンクーバーからビクトリアまでの飛行時間はたった25分。途中で、機内アナウンスがあったが、これも何を言っているのか分からない。おじさんはゆっくりした英語で「もう10分飛んでみて、ビクトリアに着陸できなければ、バンクーバーに引き返すと言ってるよ」と言ってるようだ。おもしろいおじさんだったので、きっとわたし達に冗談を言っているのだろうと思った。到着予定時刻と大差なく無事着陸。
 あとで窓際に座っていたY先生が「確かに旋回はしていたみたい。同じ夜景が2回見えたから」と言ったので、おじさんの言ったことは本当だったみたいだ。着陸したとき、拍手が起きたのもそのせいだったのだろう。きっと英語が理解できて、機内アナウンスを聞き取ることができたら、わたしはビビっていたに違いない。英語が理解できないということが役に立ったのは、後にも先にもこれ1回きり。飛行機から降りるとき、おじさんはわたしに向かって"You learn English. I learn Chinese."と言ったので、"No, no, Japanese."と答えたら、"Susi,Samurai"と言って、ニコニコしているので、わたしが"Sake,Fujiyama,Geisha"と言うと、前の席に座っていた女の人が"Honda"とか言って、何だか妙に盛り上がった。


 ビクトリアはクリスマスイルミネーション

 空港に着くとJTB現地係員の柴田さんが迎えに来ていた。空港からビクトリアの街まで約30分。街に近づいてくると、あちらこちらの住宅にクリスマスイルミネーションが施されているのが見えた。街なかはさらにきらびやかに飾られ、「これはイルミネーションのコンテストで何位になったものです」などの説明を柴田さんから聞きながら、ホテルへ向かった。今回のホテルは、ツアータイトルが「憧れのホテルに泊まる・・・」となっているため、わたし達の旅としてはすごく豪華なホテル「エンプレス ホテル」である。ホテルの豪華な造りに感動しながらチェックインをしてもらい、簡単な注意事項を聞いた後、一旦部屋へ行って着替え、ホテルのレストランでディナー。1枚だけ持ってきていた、黒のワンピースを着てちょっと緊張気味でレストランに向かったが、少しだけ日本語の話せるウエイターさんもいて、気分は楽になった。サーモンがメインの料理で、白ワインとともにおいしくいただいた。デザートで白いケーキがでてきたので、チーズケーキかヨーグルトケーキかなと思ったが、ホワイトチョコのケーキで、さんざん食べたあげくの胃には、ちょっと重かった。ケーキのそばに添えられていた、見た目が「ほおずき」そのものの物体を食べようか食べまいかと考えていたが、S先生が先に口にして、「あ、これほおずきと全然違う」と言ったので、わたしも食べてみることに。なるほど、これは全然違うものだ。甘酸っぱいフルーツの味である。前にイタリアのスーパーの食品売り場で見かけたのはこれだったんだ。でも、名前はわからない。このレストランの支払いはツアー料金に含まれているので、白ワイン分だけを払えばよかったのだが、1人10ドル、4人で40ドル、プラス15% のサービス料ということで、46ドル支払った。思ったよりこの白ワインは高かった。

 
 12月24日(金) クリスマス・イヴ☆ビクトリアそぞろ歩き

 長い長い一日の後、本当なら疲れているはずなのに、柴田さんの言ったとおり、午前4時に目が覚めた。少しの間起きていたが、このままでは寝不足になると思い、もう一度寝ようとトライしたが、眠れなかった。8時20分、ベッドから起き出して身支度をした。この旅は2都市の移動なので、朝もゆっくりでき、楽である。ホテルは街の真ん中にあり、街も歩いてみて回れる狭い範囲なので、大変便利だ。
  9時30分にホテル出発。「スピリット・オブ・クリスマス」は1年中クリスマスグッズを扱っている店だ。何百種類ものクリスマスオーナメントを見て歩いた。ここで買ったクリスマスグッズは来年のクリスマスに使おう。布地を扱っている店では、店の奥の方に、エジプトの壁画をプリントした珍しい布地があったので、つい2mずつ、2種類買ってしまった。また、わたしにとってはタイムリー(ちょっと前の言葉でいえば、『マイブーム』)な手作り石鹸の店もあった。ここはたくさんの客が中にいて、レジも行列が出来ていた。「○g切って下さい」というのも面倒なので、あらかじめカットして包んであるものを4種類買った。特におもしろかったのは、「バナナムーン」という石鹸。本物のバナナをすりつぶして混ぜてあるようで、あのバナナの中心の茶色いてんてんが見えているのである。香りもバナナであった。カナダでは、買い物をすると14%の税金がかかる。支払いをするときは、書いてある値段よりかなりプラスして考えておかないと、恥をかくことになる。
  カナダのコインのなかで、1ドルや2ドルは大きめなのですぐに覚えられたが、25セント、10セント、5セント、1セントなど細かいものはなかなか覚えられず、少し大きめの5ドル札や1ドル・2ドルのコインを支払って、セントでお釣りをもらっていたら、いつの間にか、財布の中は小銭でいっぱいになった。よくみると、コインの中にはアメリカドルも混じっている。
 本日の朝食はブランチ的に「サムズ・デリ」というサンドイッチを目の前で作ってくれるお店で食べた。ここはガイドブックお勧めの店。サンドイッチのメインの材料を言うと、パンはどっちがいいかとか、マヨネーズは入れていいかとか、アルファルファ入れていいかとか、1つずつ聞きながら、のせていってくれる。1つ英語が分からなかったのは、2種類のマスタードどちらにするかというので、その2種類のマスタードがどう違うのか理解できず、店員さんは親切に何度も尋ねてくれるのだが、こちらは首をかしげるばかり。見かねた隣の店員さん(見た目は日本人そのもの)が、英語なまりの日本語で、「こちらはわさびです」と教えてくれた。なるほど。わたしの頼んだサンドイッチが「アボカドとハム」だったので、「わさびを入れるか」と聞いてくれたのだろう。こうしてわたしのビッグなサンドイッチは出来上がったが、さすがに全部は食べきれなかった。
 街を歩いていても、時差ボケは解消せず、買い物で荷物も増えたことだし、一度ホテルに帰ることにした。Y先生S先生は元気そうなので、Mちゃんとわたしだけ先に帰った。部屋へ帰ってベッドを見ると、眠気が差してきて、つい寝てしまった。何分くらい寝たか記憶にないが、少しは睡眠不足が解消されたようだ。今日はこれから、「アフタヌーン・ティー」に行くのである。アフタヌーン・ティーもツアー料金に入っているので、食事券を持ってホテルのティールームへ。昨夜と同じ黒のワンピースに着替えて行った。館内のあちこちにクリスマスツリーが飾られている。そしてティールームではクリスマス気分を盛り上げるように、5人の男女がクリスマスソングをアカペラで歌い続けていた。アフタヌーン・ティーは、フルーツ、スコーン、クッキーなどが盛り合わせて出てきた。紅茶は香りよく、おいしかった。


 ブッチャートガーデンへクリスマスイルミネーションを見に行く

 この日のメインイベントは、夜。夕方薄暗くなってから、ホテルの前に止まっているタクシーに乗り、約30分かけてブッチャート・ガーデン(The Butchart Gardens)へ向かった。ブッチャート・ガーデンはブッチャートという人が作った庭で、この時期はクリスマスイルミネーションを見に訪れる人が多い。ほんとうは到着した日に、ビクトリアへの乗り継ぎがよければ、ここの観光も付いていたのだが、乗り継ぎが悪くて、観光できなかったのである。しかし、ビクトリアの人達やJTBの人達もお勧めのブッチャート・ガーデンはぜひ行きたい場所の一つであった。ブッチャート・ガーデンはもう夕闇に包まれているにもかかわらず、ファミリーやカップルなど大勢の人であふれていた。ベビーカーに子供を乗せて、パパやママはサンタの帽子をかぶり、楽しそうに話しながら園内をめぐっていた。広い園内では場所により違うイメージのクリスマスイルミネーションが施され、移動するたびに「うわーきれい」「ここもまたいいね」「すごーい」などのことばが、つい口から出た。昼間のブッチャートガーデンを知らないが、きっと春や夏は花がいっぱいで、美しい庭園であろう。
 行きのタクシーの運転手さんが「帰りまで待っておこうか」とわたし達に聞いたのだが、待ってもらうと、時間が気になるので断った。ということで、帰りのタクシーをゲットしなくてはならない。まず、門の近くで見渡してみたが、タクシーらしきものはいない。やはり何とか頼んで呼んでもらうしかない。英語が堪能な人物が一人もいないので、「どうする?」とお互い言いながら、観光案内所のカウンターに行き、Mちゃんが、タクシー乗り場を聞いた。(タクシー乗り場は"taxi stand"と言うそうだ)カウンターにいた幼顔の残るいかにも好青年という感じのBrad君(←名札が付いていた)は、タクシー乗り場を英語で説明しようとして、わたし達が英語分かりそうにないのを察すると、すごく忙しいにも関わらず、すばやく案内所の外に出て、方向を指さした。その方向に逆三角の標識が見えたので、わたしがゼスチャーで逆三角の形をすると、「Yes」と言ってくれた。そこへ行ってみたがやはりタクシーはいない。もう一度、案内所に行き、Brad君にタクシーを呼んでもらうように頼むことにした。案内所は、先ほどのようには混んでなく、すぐにBrad君のほうが空いたので、「Taxi No」とY先生が言って、電話をかけるゼスチャーをすると、Brad君はすぐに察しを付けて、タクシーを呼んでくれた。10分くらいで来るそうだ。電話をかけている間に、Y先生は大事なことに気が付いた。「チップは?」。海外では、何かしてもらったときには、チップを渡すことが多い。ホテルの部屋のルームメイドには1人1回1ドル。2人部屋なので2ドルを枕元の電気スタンドのところに置く。レストランでは飲食の金額の15%のチップを加算して、支払う。タクシーも料金プラス10〜15%のチップが必要。で、Brad君へのチップは1ドルでもよかったかもしれないが、「好青年の親切」ということで、お礼を言って2ドル渡した。Brad君は一瞬困ったような顔をしたが、素直に受け取ってくれた。日本にはチップの習慣がないので、わたしひとりだったらタクシーを呼んでもらうことに必死で、チップのことなどすっかり忘れていたことだろう。さすが!Y先生は冷静である。タクシーが来るのに20分以上かかったが、わたし達は無事ホテルに帰ることが出来た。


 12月25日(土) クリスマス☆目覚めはアカペラのコーラスとクリスマスプレゼント

  ぐっすり眠ったようで、朝の目覚めは爽快だった。モーニングコールより早く目覚め、顔を洗ったり、着替えたりしていると、どこからともなくアカペラのクリスマスソングが聞こえてくる。館内放送かと思ったが、放送の入るホテルなんてあんまり聞いたことがない。どうも廊下から聞こえているようなので、ドアをほんの少し開けてみた。本当に廊下にいる人が歌っているようだ。ビデオカメラを取り出して、音だけでも録ろうと、録画ボタンを押した。Mちゃんと2人で、少しずつドアを開けていき、そーっと廊下を覗いたとき、「わーのりちゃん、これ」というMちゃんの驚きの声。わたしはビデオカメラの液晶画面を見ていたので、何が起きたのか初めは分からなかったが、Mちゃんの方を見るとドアノブにプレゼントの赤い靴下が下げてある。「すごーい」と感激。クリスマスの日の朝、目覚めると枕元にプレゼントが置いてあった、あの子供の頃のわくわくするような喜びを久しぶりに味わった。中身は、リンゴ、ミカン(オレンジではなく温州みかんだった)サンタの絵の描かれたチョコ、キャンディケイン(杖型のしましまキャンディ)。クリスマスソングを歌っていたのは昨日、アフタヌーン・ティーの時歌ってた人達。廊下に少し出てみると、彼らは廊下のいちばん向こうの角で、歌っていた。きっと歌いながら、各部屋のドアノブにプレゼントをかけて歩いたのだろう。しばらく角で歌ってから、ビデオを撮ってるわたしに手を振りながら、そして歌いながら去っていった。


 あ〜ぁ、やっちゃったぁ

 今日はビクトリアからバンクーバーへ移動する。朝、出発の1時間くらい前の指定時刻にべルマンが荷物を取りに来てくれる。2人でそれぞれスーツケースを押しながら、廊下に出した。次の瞬間ドアが閉まり、オートロックのドアは開かなくなってしまった。わたしの頭の中から「オートロック」というものの意識がどこかへとんでいて、ドアが閉まって、「のりちゃん、ドア!」と言われるまで、すっかり忘れていた。「あ〜あ」と思ったその次に、隣の部屋のS先生Y先生に助けを求めようと、ドアをノックし中に入れてもらった。部屋の電話でフロントに連絡し、カギを開けてもらおうと思ったのだ。さあ、なんて言えばいいの?いろいろ考えて、とにかく「キー」と言う言葉と部屋番号を言えば、どうにかなるかと思い、勇気を出して、フロントの番号を押してみたが、電話はウンともスンとも言わない。それから、少し落ち着いて、フロントへ行けばいいと言うことにやっと気づき、エレベーターで下へ降りた。パジャマ姿やスリッパのままなら、フロントへ行くのもはばかられるが、もう出かけられる格好をしているのだから、堂々と歩ける。「Excuse me, key…」とそこまで言ったら、フロントの女性はすぐに分かってくれたようで、1分もしないうちにカードキーを再発行してくれた。旅行中こんな失敗をしたのは、初めてである。ま、これは時差ボケのせいにしておこう。
  チェックアウトの時、キーの再発行料金16ドルを支払わされた。お金がかかるとは思わなかった。(この事件には後日談がある。このときもらった領収書のいちばん下にTOTAL16.0と書いてあったので、わたしはそこしか見ずに「ああ、16ドルかかったんだ」と勝手に思いこんでいた。この料金をクレジットカードで支払ったのがいけなかった。家庭科の授業の時などには「サインをする前に、金額を必ず確かめましょう」と偉そうに言っているのに、金額もよく見ずにサインをした。1月末にカードの利用明細書が来て、カナダでのカードによる支払いも記されていた。いつもはあまり請求金額の確かめはしないが、外国での買い物の時には、間違いがあって損をしてはいけないと、よく確かめることにしている。で、カナダでのカードによる買い物のレシートとカードの明細書を照らし合わせてみていて、ビックリ。なんと、わたしがキー再発行のために16ドル支払ったと思っていたものは税金の金額で、領収書の上の方をよくみると「230ドル」の文字。プラス税金16ドルで金額は「246ドル」。日本円にすると17,745円。キー再発行で約1泊分の料金を取られていたのである。どうしようかと考え、「だめもと」でJTBに行き、相談してみたところ、JTB本社を通してホテルに問い合わせてもらえた。翌日返事があり、ホテルのミスだったことが判明。言ってみるもんである。)


 
ふたたび、ちっさい飛行機に乗って、バンクーバーへ

 ビクトリア空港に着いた。また、あのプロペラ機に乗らなくてはならない。今日も霧が深いようだ。時間があるので、ちょっと朝食をとることにした。空港内のカフェで、パンケーキとコーヒーを注文。パンケーキは量が多かったが、おいしく食べた。メープルシロップもおいしい。このカフェで「DECAFE」(デカフェ)というコーヒーのような飲み物があったが、なんだろうとみんなで言っていたが、予想通り「カフェイン抜きのコーヒー」であった。普通のコーヒーとDECAFEは並んで置いてあり、DECAFEを飲んでいる人も少なくなかったので意外だった。日本ではまだDECAFEは一般的でない。
 搭乗券をもらって席順を見ると、「01D」である。えっ、今度はいちばん前?飛行機に乗り込むと、すぐに席があった。しかも、S先生Y先生は、わたし達と向かい合わせで、操縦室側に背中を向ける席であった。飛行機で向かい合わせの席なんて初めて。S先生は「他の乗客の顔がみんな見える」と、何だか違和感を感じているようだ。飛行機は定刻通り離陸し、すぐに霧の上にあがった。今回の旅で初めて景色を見ることができた。小さい飛行機ということで、不安も少しはあったが、顔面蒼白になるような恐れは全くなかった。ビクトリアからはロッキー山脈の山並みは全く見えなかったが、こうして空へ上がると美しい山々が目の前に広がる。ふと、気が付くと 眼下に見える霧の絨毯にわたし達の乗った飛行機の影か映っている。その影の周りを虹のような光が包んでいた。これは「ブロッケン現象」あるいは「ブロッケンの妖怪」と呼ばれるものである。あまりお目にかかれない現象なので、S先生のカメラを借りて、機影を撮った。


 バンクーバーの現地係員さんは下松さん

 バンクーバーも霧に覆われていた。わたし達を迎えに来ていたのは、テンポよく喋る現地係員の下松というおじさんだった。「下松」は「くだまつ」ではなく「しもまつ」とよむ。「団体旅行の『DAN』と呼んでください」。話をしていると、ダンさんの奥さんはS先生と同じ市の方だということがわかった。(世間は狭い!?)空港からバンクーバーの街まで、ダンさんはずっと喋りながら運転をした。今日はクリスマスなので開いている店は少ないとのこと。みんな家族や恋人と過ごすために仕事はしないのである。こんな日はマクドナルドのような、ほかが閉まっていても開いていそうな店すら休みになってしまうらしい。給料をいつもの3倍払うと言ってもみんな休みを取るそうだ。街に着くとやはり休みの店が多い。日本人向けの「OKギフトショップ」(大橋巨泉が経営している店)や海外旅行者でなければ入れない「デューティフリーショップ」などは開いているが。ホテル(バンクーバーで宿泊するホテルはその名もズバリ「ホテル バンクーバー」。このホテルも豪華である)のチェックインまで時間があるので、この2軒の店を見て回ることにした。都合のよいことに、この2軒の店の距離は歩いて1分もかからないような近さである。そろそろ旅の後半でもあることだし、いろんな人達へのおみやげを考えなければならない。最後に空港の免税店で焦って買い物をするのも、何だかサマにならないから、今のうちに買えるものは買っておこう。*写真はホテル バンクーバー(絵はがき)と部屋においてあったウエルカムボックス(メッセージとスタッフのサイン・箱の中にはお菓子が入っていた)


 ボクシング・デイ(Boxing day)って何?

 カナダのガイドブックを見ると、年間の祝祭日のところに「12月25日…クリスマス  12月26日…ボクシング・デイ(Boxing day)」と書いてある。クリスマスは分かるが、「ボクシング・デイ」って何?街のあちこちでボクシングをする日?これは、旅行にでる前からの大きな疑問であった。ダンさんの話によると、ボクシングはスポーツのボクシングではなく、「箱」のことで、クリスマスにもらったプレゼントの箱を片づける日なのだそうだ。今ではこのボクシング・デイに一斉にバーゲンをする。30〜70%オフでどの店も行列が出来、入店を制限。カナダの人達は、欲しいものがあってもボクシング・デイがくるまでグッと我慢しているそうだ。だからこのボクシング・デイも休みを取って買い物に出かける人が多いらしい。その話を聞くと、今日買ったものが、30〜70%オフで明日売られていたらちょっとショックなので、買い物も躊躇してしまう。だが、きっと「OKギフトショップ」や「デューティフリーショップ」などはボクシング・デイとは無関係だろうから、この2軒で買えそうなものは、買うことにした。買った物の中で、面白いものとしては、パソコンのスクリーンセーバー(フロッピー)で「オーロラ」の写真が現れるもの。(家に帰ってから、早速パソコンに入れると何枚かのオーロラの写真と、おおかみの鳴き声が入っていた。)
 
今日の夕食は「寿司の食べ放題」。カナダまで来て、わざわざ寿司なんか食べなくても、と思うかもしれないが、魚介類の新鮮なカナダではきっと寿司もおいしいだろうと、ツアー料金に含まれている寿司食べ放題を楽しみにしていた。ホテルのすぐ近くにある「Koji」という日本食レストランで、夕食となった。この夕食のメニューは、刺身や揚げ出し豆腐なども付いていたが、寿司の前にそれらが出てきたので、寿司が出る頃には、お腹もいっぱいになりかけていた。寿司はネタはやはりよかったが、舎利(シャリ)が乾きかけていて、「うーん、いまいち」。しかも食事の初めにほんのちょびっと飲んだアルコールがまわって、気分は最悪だった。やっぱり、疲れてるんだ。というわけで、寿司食べ放題どころか出されたものすら全部食べられなかった。他の3人もほどほどで、「食べ放題」の権利は有効に使えなかった。残念。


 12月26日(日) ボクシング・デイがやってきた

 噂のボクシング・デイがやってきた。朝、ホテルの部屋でつけていたテレビでも、「ボクシング・デイでうちの店はこんなものが何%安くなるよ」みたいなCMをやっていた。店が開いた直後には、街にあまり人はいなかったが、時間がたつに連れて、どんどん人があふれてきた。こんなに人がいると、レジに並んでも自分の番になるまでずいぶん時間がかかるだろうな。4人で同時に行動するのもかえってたいへんなので、適当にバラバラになって、街を歩いた。今回は姉にブランドものの財布を買って帰ろうと思っていたので、近くにある「フェラガモ」行った。姉はホントはブランドものには興味も縁もないのだが、おみやげでもらうなら、ブランドものの方が嬉しいだろうし、1個くらいブランドものを持っていてもいいのではと、買うことにした。「フェラガモ」も人が大勢入っていたが、まだ人数制限するほどにはなっていなかった。中にいる人は、旅行客が多いようで、中国語や韓国語が飛び交っていた。財布も何点かはバーゲンになっていて、その中から「これなら」と思えるものを選ぶことが出来た。実際の値段よりかなり安く買え、ボクシング・デイの恩恵にあずかり、ラッキーだった。こういうブランドものを扱う店では、必ず日本語の話せる店員さんがいるのでとても助かる。カナダでは東洋人を多く見かけ、街なかやいろんな店の店員さんでも、この人達日本人かな?と思う人をたくさん見かける。しかし、日本人ということはあまりなく、少し近寄ってみると、中国語や韓国語を話していることが多い。
 昼食は、中華料理を食べることにした。MちゃんS先生にボクシングデイの恩恵は任せて、Y先生と中華料理レストランの予約をしてもらいに、JTBツアーデスクに行った。ツアーデスクはわたし達の泊まっているホテルの地下にあり、何でも相談に乗ってくれる。少し歩き回ったので、ツアーデスクにある玄米茶をいただき、それから行こうと思っているチャイニーズレストランがおいしいかどうかスタッフの人に尋ねた。返事は「まあまあおいしい」ようで、予約を入れてもらった。


 中華料理店で・・・

 予約した時間より遅くなってしまったが、4人が集合して、ホテルからほど近い「KIRIN」に向かった。店に入ると、多くの中国系の人達が楽しそうに食事をしていた。注文したのは、無難な定番メニューの「ワンタン」「麻婆豆腐」「チャーハン(KIRINスペシャル)」「エビチリ」「杏仁豆腐」を1つずつ注文した。量がどれくらいか分からず、運ばれてくるまでちょっと心配だったが、4人で食べるにはちょうどよいくらいの量であった。また味もよく、特にエビチリのエビがプリプリと歯ごたえがあり、おいしかった。
 一通り食べて、最後はお楽しみのデザート杏仁豆腐を待つばかり。ウエイターのジョーさんが、「Finish? Dessert?」などと聞いてきたので、みんな口をそろえて、「Yes,yes」。それから少し経って、運ばれてきたのは「マンゴープリン」だった。注文の時、杏仁豆腐とマンゴープリンのどちらにしようかみんなで迷って、結局杏仁豆腐にしたのに、目の前にはマンゴープリン。「なぜ?なぜ?」このマンゴープリン、食べたいが間違って運ばれてきたのだから、ジョーさんを呼んで「これは違う」と言わなければならない。通りがかったジョーさんに「マンゴープリン、no.」とか「Order,杏仁豆腐」とか言ってみたけど、所詮英語のわかんないわたし達。言ってることは通じてるのか通じてないのか、それすら分からない。しかしジョーさんはマンゴープリンで間違いないような、自信のある顔をしている。確かに杏仁豆腐を注文し、マンゴープリンの「マ」の字も口にしていないのだが、ジョーさんの顔を見ると、食べるしかなかった。「うっ、うまい!」マンゴーの実も入ったこのマンゴープリンはこってりとして、とてもおいしい。でもちょっと気になるのが、プリンの周りにあしらってある薄切りのキュウリ。デザートにキュウリは合わないんじゃないの?と密かに思った。そして食べながら、次の不安が頭をよぎった。このマンゴープリンを食べるのはいいけど、杏仁豆腐も運ばれてきたらどうしよう..........。不安的中。マンゴープリンを食べ終るのを見計らったかのように、杏仁豆腐が運ばれてきた。言葉は悪いが「げぇ〜」っていう感じだった。英語の達者な者がいなかったので、仕方なく食べた。いくら楽しみにしていた杏仁豆腐でも、いっぱい食べた後には、あまり魅力を感じない。その上、この杏仁豆腐、おいしくなかった。しかもどちらもきちんと請求された。


 少しは観光客らしく観光でもしましょう

 午後は「腹ごなし」に街を少し歩き、「蒸気時計」を見に行った。この旅では観光らしい観光をしていなかったので、「1つくらいは」と思い、蒸気時計の見学に行った。蒸気時計はその名の通り、蒸気で動く時計である。歩道に据え付けられたその時計は15分おきに「ボ〜ッ」と汽笛が鳴る。時計を背に交替で写真を撮っていたら、近くの絨毯屋のおやじさんが「写真、撮りましょうか」と英語なまりの日本語で声をかけてきた。カメラを渡して、撮ってもらった。S先生デジタルカメラだったので、今、撮ってもらった写真を液晶でおやじさんに見せたところ、えらくビックリして「これは今自分が撮った写真か」と感動していた。このおじさん、日本に住んでいたことがあるそうで、新宿、上野などの地名を挙げていた。「マジックを見せるから、入っておいで」としきりに誘われたが、入ってしまったら、この店を出るときには4人とも丸めた絨毯を背中にしょっていそうなので、おやじさんに「ばいば〜い」と手を振って、その場を後にした。でもおやじさんの「マジック」ってどんなのだったんだろう。もしかして「空飛ぶ絨毯」をみせてくれるつもりだったのかも・・・。
  この日の夜は、ダンさんの案内でまたクリスマスイルミネーションを見て回った。バンクーバーは深い霧に覆われていて、ロマンチックではあるが、せっかくの夜景が全然見えない。車に乗って、スタンレー・パークへ向かった。公園内は消防士さん達が飾り付けたイルミネーションで色とりどりに飾られ、ブッチャート・ガーデンとはまた趣の違う手作りの温かみが感じられた。その後、個人の住宅のイルミネーションにも案内してもらった。それぞれの家が工夫を凝らして派手に飾り付け、大きなサンタの人形や観光客が写真を撮れるようにベンチを置いている家もあった。夕食はマクドナルドのテイクアウトを買い、ホテルの部屋に帰って、みんなで食べた。カナダのマクドナルドはMの文字の中にメイプルリーフが1枚描かれている。
 
とても、
一般家庭とは
思えないような
豪華な
イルミネーション


 12月27日(月) 帰国の途につく

 朝、ホテルの窓の外にカモメがやってくる。26日の朝もやってきたが、カモメにやる食べ物がなく、Mちゃんの持っていたベビースターラーメンをちょっとやってみたが、食べにくそうだった。窓枠の食べ残しのベビースターラーメを掃除しようとしたY先生は指をカモメに突っつかれてしまった。昨日の夜、明日カモメにやろうとマクドナルドのポテトを半分くらい残しておいた。そのポテトをカモメにやると、次から次へとぱくぱく食べた。気に入ったようだ。
 そうこうしているうちに、出発の時間が近づき、部屋を出て、ロビーに降りた。今回は何も請求されずにチェックアウトできた。今朝もバンクーバーは深い霧に覆われている。空港では4人はバラバラに行動し、最後の追い込みで買い忘れのおみやげを買って歩いた。自分へのおみやげが消耗品ばかりだったので、何か一つ残るものをと思い、カナダのブランド「ROOTS」(ルーツ)の腕時計を買った。
 いよいよカナダともお別れ。帰りの飛行機も中の席で景色を眺めることもできず、機内で上映された「プリティブライド」を見たり、日本から持ってきた海外ミステリー、パトリシア・コーンウエル著「警告」も少しずつ読んだりしたが、とても退屈だった。
 関空に到着したときには、すでにあたりは夕暮れ。これから自宅まで帰るために、特急「はるか」で新大阪駅まで行き、そこから新幹線に乗らなくてはならない。バンクーバーの免税店で買った物は「空港受け渡し」だったので、かさばるフリースジャケット2枚とJTBが手配してくれたスモークサーモンなどのセット1箱、空港で買ったおみやげ類、そしてスーツケースをもって関空駅の中を急いで歩いた。4つの荷物をいっぺんに持って歩くのはとても苦痛であった。みんなに後れをとりながら、まさに「必死」に歩いた。
 新大阪駅からは新幹線に乗った。年末の帰省客も多く、自由席では座れない可能性もあるので、指定席を取ろうということになった。みどりの窓口で指定席をお願いしたところ、指定席は全部いっぱいとのこと。結局、普通なら絶対乗れない「グリーン車」にした。やはり、グリーン席は広くて、ゆったりしている。飛行機の席もこのくらい広ければいいのになどと思いながら、少しうとうとした。
 旅も無事終わり、またいつもの生活に戻った。カナダにはもっと自然を満喫する旅が似合っている。今度はカナディアンロッキーやナイアガラ、オーロラなど見に行きたい。この4人のメンバーはとっても楽しい。また、ぜひ行こうね。(時差ボケの不安は残るが....。)